脳には痛みを抑える機能が備わっている
なかなか改善しない慢性的な痛みや痺れ。実はその原因、身体の「外側」だけにあるわけではないかもしれません。
私たちの身体には、痛みを感じたときに脳から脊髄へ向けて「その痛みは伝えなくていい」と指令を送る仕組みが備わっています。これを「下行性疼痛抑制系(かこうせいとうつうよくせいけい)」といいます。
健康な状態であれば、多少の刺激があってもこのシステムが痛みをシャットアウトしてくれます。
ところが慢性痛を抱えている方は、このブレーキが効かなくなっているため、本来なら痛みと感じないはずの軽い刺激――たとえば服がこすれる程度の刺激――すら、脳が激痛として受け取ってしまうのです。
痛みの専門医・澁谷真彦先生が提唱するのは、慢性痛の解決には「痛みのブレーキを修理する」という視点が不可欠だということ。今回は、その仕組みを生化学的に紐解いていきます。
「セロトニン」と「ノルアドレナリン」
このブレーキシステムを動かすために、神経の隙間で放出される化学物質があります。
それが「セロトニン」と「ノルアドレナリン」です。
この2つは、脳内の"天然の鎮痛剤"として機能します。しかし、魔法のように湧いてくるわけではありません。特定の栄養素を材料として、体内で合成される「工業製品」なのです。材料が一つでも欠ければ、脳は痛みを止めるための弾丸を作れなくなります。
セロトニンをつくる「方程式」
セロトニン合成に必要な要素を整理すると、次のような方程式になります。
トリプトファン(肉・魚・卵)+ 鉄(Fe)+ ビタミンB6 = セロトニン(天然の鎮痛剤)
① 材料:トリプトファン
セロトニンの唯一の原材料は、必須アミノ酸の「トリプトファン」です。体内では合成できないため、食事(タンパク質)から摂るしかありません。
肉・魚・卵などのタンパク質が不足すると、脳内のセロトニン濃度が低下し、下行性疼痛抑制系の働きが著しくダウンします。「タンパク質不足の人は痛みに弱い」と言われるのには、こうした生化学的な理由があるのです。
② 道具:鉄(Fe)
材料だけあっても、セロトニンは完成しません。材料を製品に変えるための"職人の道具"が必要です。それが「鉄(Fe)」です。
鉄はセロトニン合成の重要な酵素(トリプトファン水酸化酵素)において、必須の補酵素として働きます。鉄がなければ、いくらタンパク質を摂ってもセロトニンは1ミリも作られません。
澁谷先生が「慢性痛の背景に鉄欠乏がある」と断言されるのは、このためです。
「血液検査が正常」でも安心できない理由「潜在性鉄欠乏」
ここで一つ、見落としがちな盲点があります。
血液検査のヘモグロビン値が正常でも、貯蔵鉄である「フェリチン」が枯渇しているケースが非常に多いのです。特に現代の日本人女性に多く見られます。これを、「潜在性鉄欠乏」と呼びます。
ヘモグロビンは"財布の中の現金"、フェリチンは"銀行の貯金"と考えるとわかりやすいでしょう。日々の現金はあっても、貯金がゼロであれば、脳内でのセロトニン合成という大きなプロジェクトは立ち行きません。これが、原因不明の広範な痛み(線維筋痛症のような症状)を招く一因となります。
「糖・酒・植物油」がブレーキを壊す
以前にもお伝えした"糖・酒・植物油の摂りすぎ"は、このシステムにも深刻なダメージを与えます。
過剰な糖の摂取や飲酒は、セロトニン合成に欠かせないビタミンB群やマグネシウムを大量に浪費させます。つまり糖・酒・油の過剰摂取は、痛みセンサーを直接刺激するだけでなく、脳内の「痛み止め工場」をストライキに追い込むという二重の悪影響をもたらすのです。
明日からできる食事実践法
目指すのは「なんとなくバランスの良い食事」ではありません。ポイントを絞って意識してみてください。
- ヘム鉄を意識する:赤身の肉や魚を積極的に摂る
- タンパク質を毎食とる:セロトニンの材料を切らさない
- 食後のコーヒー・紅茶は控えめに:鉄の吸収を阻害するタンニンに注意
まとめ:痛みの閾値を取り戻すために
慢性痛の正体は、**痛みセンサーの「暴走」と脳内鎮痛システムの「沈黙」**が同時に起きている状態です。
毒素(アルデヒド)を減らしてセンサーの火を消すこと。そして鉄とトリプトファンを補給して、眠っている下行性疼痛抑制系を再起動させること。
この生化学的な「ブレーキの修理」が完了したとき、身体は本来の**"痛みを感じにくい、しなやかな状態"**を取り戻すことができます。施術で外側を整えながら、食事で内側の方程式を完成させる――その両輪が、慢性痛改善への近道です。
▼ 参考文献 『「しつこい痛み」は食事でよくなる! 痛みの専門医が教える最新栄養医学』
著者:澁谷真彦(オクノクリニック神戸三宮院 院長)/青春出版社